はじめに
私が幼少のころに過ごした家での出来事を報告する。私は長野県長野市の古里地区で生まれ育った。
1968年、昭和43年8月に生まれ駒沢団地で育った。
6歳になった1974年、昭和49年の春ごろから新居に引越した。
普通の昭和後期の木造住宅だ。
そのときの住所は長野県長野市大字金箱796-3。
現在は取り壊されて小さな公園になっている。
家族構成は、父、母、兄と私の四人家族で、兄は4歳年上だった。
家の間取りは、1階3DK、2階に子供部屋が一部屋。
発生した現象について
- 誰もいない2階の子供部屋から人が歩く音が1階に響く。
- 2階にいる時、階段を昇ってくる足音が聞こえたが、誰もそこには居なかった。
頻度について
- の現象は度々発生していた。私と兄と母が体験したが、母は気づいていないふりをしていた。
- の現象は1度だけ体験した。私と兄が2階にいて体験している。
発生期間について
- の現象は、私が小学1年生から中学生までの続いた。その後、家を増築して、その現象は感じられなくなった。
- の現象は私が小学4年生ぐらいの夏から秋の事だったと記憶する。
この現象の原因の一端に気づくまで
正直言って、この件をあまり他人に話した事はなかった。完全にオカルト現象だと思っていたからだ。
だが、映画『インセプション』を見たとき、この幼少の頃の記憶が蘇った。
そして、以下の仮説が腑に落ちる。
- の足音や2階に誰かが居る気配の現象は、自分の気配で、時間が遅れて(または早く)物音が聞こえたのではないか。
- は1の現象が怖くて、夜中に一人で2階上がれなくて、階段の途中で止まって、じっと2階の気配を感じようとしていた事があった。この時の行動が、時間が遅れて(または早く)音として聞こえたのではないか。
1階と2階の間に時空のハザマがあった
と結論づけるとこの現象が納得いく。
これは、オカルト現象ではなく、自分の気配が時空を超えて伝わってきた、現象に過ぎないと考えられ、これに科学的根拠があるとすれば、人類の未来に何らかの貢献ができると思われる。
家の構造に何らかの要因があるのでは?
家の構造がこの現象を引き起こす何らかの関わりがあると考えられる。何故なら増築後にこの現象が感じられなくなったためだ。
階段と家の構造
家は南南東を向いて玄関は西南西側にあり、その玄関を上がるとすぐに玄関が南南東を向いて2階に登る構造。
階段を登りきると突き当りは壁で、左側に子供部屋の扉(襖)、左側に小窓があった。
突き当りの壁にはいつも丸い鏡がかけてあった。
階段の天井には押入れの小部屋がせり出していた。
階段は12段で、踊り場を入れると13段あったと記憶する。
西南西から見た時の断面図
その他の特色
階段上の踊り場、つまり襖の前で手を叩くと、その音が共鳴する。
日光の鳴き竜に近いかもしれない。
手をパンと一回叩くと、「パンーパンーパンー…」としばらく響くような感じで共鳴した。
丸い鏡について
丸い鏡に何らかの因果関係あるかわからないが、現象が収まった増築後には、この鏡は外されていたように記憶する。
小窓について
増築後は小窓がなくなり、ドアが設置された。
小さいアルミサッシだった。
右側の壁について
増築前は右側の壁の外は西日がとても良く当たるところだった。
時間のずれ幅について
こらは難し判断なのだが2の現象だけを見ると、夏ごろと秋ごろがリンクするので、3か月~半年程度のずれが有ったと考えられる。
物質のずれは有ったのか
答えはNOだ。
音だけが時間がずれて伝わる事があった。
私と兄はしっかりと現象2を体験しているが、例えば3ヶ月後の自分を見たというようなことは無かった。